大人ジャックとロビンの話
「今日も兄さんはかわいいなあ」
そう言ってロビンは僕に頬ずりをする。会えなかったころの寂しい気持ちを埋めたいのか、その行為は会うたびにされる。しばらくはウザいながらも仕方ないなと黙っていたが、やっぱりウザいものはウザい。
「兄さん、今日は何しようか? どこか遊びに行く? それともスイーツ食べに行く?」
うんざりする僕に気づいていないのか、浮かれた声色で今日の相談をしてくる。僕が呆れたようにため息を吐くと、ようやく気づいたのか「兄さん?」と不安げに様子を伺ってきた。
「お前さ、わかってる?」
「なにを?」
「僕とお前、同い年なんだよ」
「当然だろ。双子なんだから」
「…………僕の見た目がお前と同じくらいだったらこんなことしないだろ」
僕は8歳くらいにヴァンパイアになったからその時点で身体の成長は止まっている。だから当時の幼い子どもの見た目をしている。
舞台上ではそれを自覚した上で、パフォーマンスをする。"かわいい"と言われること自体に抵抗はない。むしろ嬉しい。だけどーー……。
("この見た目"じゃなかったらロビンは僕から離れるんじゃないだろうか)
バカみたいな不安だってわかってはいる。
僕が姿を消して10年近く経っても変わらず僕を探し続けたロビンだ、きっと僕の見た目が"実年齢相応"だとしても変わらず好きでいてくれるはずだろう。
けど、今みたいなスキンシップをとってくれなくなるかもしれない。それが僕にとっては寂しくて、怖かった。
「んー、つまり兄さんが大人だったらってこと?」
「……」
「相手が兄さんだからこうしてるんだよ。見た目とか関係ない」
ロビンは僕の目をじっと見てハッキリと断言する。正直、それは想定内ではあった。
「……見てないからそう言えるんだろ」
「そんなことない。僕は兄さんが兄さんだから、一緒にいたいんだよ」
「……あっそ」
ロビンの純粋な気持ちは、時々僕にとっては眩しすぎて、やはり今でもロビンのそういうところが大好きで大嫌いだ。
✬
「……んっ、」
窓から射し込む光が眩しくて目を開ける。
ちらりと目覚まし時計を見ると、ほんの少しだけ普段の起床時間より早い時刻を示していた。もう少しだけ寝ようと寝返りを打とうとするとふと違和感を感じた。なんだか普段より身体が重い。ヴァンパイアは風邪を引かないはずなのに、と疑問に思いながらベッドから出て立ち上がるとーーいつもよりだいぶ視界が高かった。
「え? って、低い……?」
口から紡がれた声の違和感に僕は驚き、慌てて鏡を見る。そこに写っているのは微かに自分の面影がある青年の姿だった。昔まだイギリスで両親とロビンと暮らしていた頃に、写真で見たパパの若い頃にそっくりで、僕は一つの可能性にたどり着く。
「……もしかして大人になっちゃったの? 僕」
その可能性に気づいたの途端、急に血の気が引いたのを感じた。そしてそのまま立てなくなって、その場に倒れ込む。その時に何かにぶつかったのか、がたんと大きな音がした。
「ジャック!!」
遠くでサガの声が聞こえたような気がするけれど、答えることができないまま僕は意識を手放した。
✬
それからしばらくして目を覚ますとそこはベスの部屋にいた。しかしあたりを見渡してもベスいないし、僕もベッドの上に寝かされている。どうやら倒れた後に誰かが運んでくれたみたいだ。
「ジャック、目が覚めたのね」
「ベス」
「サガがここまで運んでくれたのよ」
水の入ったコップを持ってきてくれたベスはそう言いながら僕の隣に座る。
「そうだったんだ」
「あなたが寝てる間に身体も診させてもらったわ。……おそらく原因は紅い月ね。カルミラも疑ったけどそんな気配は感じないわ」
「そっか」
「ジャック?」
「……ねぇ、ベス。僕、元に戻れるのかな?」
口から出た言葉は不安で溢れていた。そんな僕を見て、ベスは優しく僕を抱きしめた。
「あなたが戻れなくても、あなたはあなたよ。ベスたちは、見捨てたりしないわ。……もちろん、あの子も」
こういうところがベスはすごいなって思う。僕の気持ちをちゃんと汲み取ってくれるから。
「……ありがと」
「ゆっくり休んでなさい。今日はこのままベスの部屋使ってていいから」
「うん」
ベスは優しい手つきで僕の頭を撫でると部屋を後にした。
一人になると不安でいっぱいになる。改めて今の自分を鏡で見ると、鏡の中の自分も不安そうな表情をしていた。しばらくそのままでいると軽快なメロディが部屋に響く。その音は着信を知らせていてここで僕はロビンと約束していたことを思い出した。
(……待って、今の状態で電話なんか出られるわけがない)
慌ててスマホに手を伸ばすけれど、それを取ることはできなかった。今の僕は"いつもの僕"じゃない。かつてロビンが探していた"成長した僕"だ。こんな状態で出てしまえばロビンを混乱させるだけだ。
しばらく電話はなり続けるが、やがて止む。そしてまた鳴り出す、その繰り返しだ。約束しているのだから、きっと僕が出るまでかけ続けるのだろう。
ようやく鳴り終わったことにホッとした。スマホを手に取りロビンにメッセージを送ろうとする。その時だった、近くにロビンの気配を感じたのは。
「ま、まさか……」
恐る恐る窓から外を覗きこむと、そこにはやっぱりというべきかロビンの姿があった。なにを話しているかはわからないがサガと話しているのが見える。その時だった、サガと話していたはずのロビンと目があったのは。その瞬間、ロビンは「兄さん」と口を動かした。
「……っ!」
今更だとは思うが僕は隠れるしかなかった。だって、こんな姿で会えるわけない。会いたくない。
ロビンに拒絶されるのが怖い。
かつては自分がロビンを捨てたくせにって思わなくもないが、だからこそ怖いのかもしれない。手放したはずの大事な半身が、今再び身近にいる。そんな彼に拒絶されるのはーー……
「兄さん」
「っ」
「兄さん、いるんだよね?」
「……」
扉の向こうから聞こえてくる声に返事をすることは出来なかった。
「……サガ、さんから、話は聞いたよ」
「……」
「扉を、開けて」
「……」
「あのね。僕は兄さんが、兄さんだから好き。あなたが、ジャック・ラフィット……ううん、ジャック・ムートンだから。大好きで大切なんだ」
「……」
「……お願い。僕を信じて」
ロビンの切実な言葉に、僕は震える手で扉をあける。するとそこには髪型や服装が乱れているロビンの姿があった。
「よかった、兄さん」
ロビンは僕の姿を確認すると、泣きながら力いっぱいに僕を抱きしめる。
「兄さんになにかあったのかなって心配で……、よかった、元気で」
きっと彼は気づいてなんかいないだろう。僕の身体が微かに震えていることにも、彼の顔をまともに見れないことにも。
「……かわいく、ないだろ」
「へ?」
「今の僕、かわいくないよ」
「どうして?」
「だって、大人の姿だよ」
「兄さんはかわいいよ」
疑いもせずに即答するロビンの言葉に、僕はロビンを抱きしめ返す。普段と違って今は僕のほうが背が高いから少しだけぎこちなくなってしまったけれど。
「うん、やっぱり兄さんはかわいいよ」
普段とかわらないロビンの反応に僕は安心した。
「お前、馬鹿じゃないの」
ただ素直にお礼を言うのはなんとなく恥ずかしくて悪態をつく。
「ふふ。どういたしまして!」
しかしロビンにはそれすらもお見通しのようで、いつものようにニコニコと笑っていた。